保育士ですが「これは『ブーブー』だけど、『乗れないブーブー』だよ」と教えると分かってもらえることが多いです。 「ぼうしをかぶる」を教えるときは『ぼうし』と言いながらかぶる動きを教えます。そうでないと理解しません。 とっくに靴を履く習慣ができた2歳児のある程度話せるようになった頃に「くつってこれ?」と聞かれることがあります。明らかに道具が道具と認識される瞬間はあります。 いつか是非保育士ともコラボしてみてくださいw
18:09 親「ブーブーだよ!」 子「(乗れないと思うけどなぁ…)よいしょ」 子「うーん、乗れない…」 親「あはは!乗れないねぇ!(乗ろうとするのかわいい!)」 子「うん…(おまえが乗れ言うたやん)」 ってなってるのか
夫に、「なぜ明らかに着られないサイズの服を着ようとするのか。」とよく指摘されていますが、私は着られると思って着ようとしています。
息子が1歳半健診で、絵を見ながら「わんわんどれかな?」って言われて犬の絵を指差しした後に、 「クックはどれかな?」と言われて靴の絵は無視して履いてきた自分の靴を指差し逃走(?) …靴を履こうとしていたエピソードを思い出しました。 大人が意図しなかった子どもの行動に驚いた憶えだったけど、 名詞と動詞の区別がつく前の貴重な時期だったのかな~と感慨深くなりました。
子育て支援の職員から、「赤ちゃん言葉を使わずに、優しくゆっくり少ない語彙で伝えてあげてください。行動と名詞が混じると子供が混乱します」と言われたのはこれだったのか…(同じ理由で声掛けだけ「ほら!」とか「早く!」はタブーです。と言われてました)
幼児期に、「台所に電灯がついている」と「台所に母親がいる」が未分化だったらしく、台所に電灯がついているのに「お母さんがいないと暗いね」と言った覚えがある。もしかすると、このような思い出の蓄積と「詩を書く」という行為がやはり未分化なのかも知れない。ただ、この話はスケールエラーではないですね。
子どもの頃に初めてお寿司を食べる時、「こうやって醤油に"ちょんちょん"ってするんだよ」と言われたので、言葉通りにお寿司を水平のまま醤油に"ちょんちょん"と2回つけたら「そんなにつけなくて良いし、1回でいいよ。斜めにして端っこだけつけるんだよ」と言われてモヤった記憶があります 今思い返せば手持ちの情報では絶対にできないアウトプットを要求されていた事に対する憤りに近い感情だったと思います
姪が2歳半くらいのとき、何歳になったの?って聞いたら誇らしげに三本指たててきて、 おかしいなと思ってたら親(妹)が恥ずかしそうに「もうすぐ3歳だから…3の数字できるように練習してて…うまくできるたびに褒めてたらドヤ顔するようになってまだ2歳なんだよって言っても理解しなくて…」って言ってたのが俺の姪かわいいエピソード鉄板
うちの母の「あんた小さい頃はかわいかったのに……」という鉄板エピソードとして、わたしが2・3歳の頃に30cm程度の五重塔の置き物に向かって挨拶をしていたというものがあるのを思い出しました。 その後、幼児のわたしは母に向かって「おかあさん、あのおうち変なんだよ。こんにちは〜って言ってもおじちゃんもおばちゃんも出てきてくれないんだよ」と言ったそうで、わたし自身にまったく記憶はないので、30cmの五重塔からそこを住処とする住人が出てくるなら、2cmもないのかな〜などと絵を想像して笑ってしまいます。 家(らしきもの)とそこに住む人というのは必ずセットで存在していて、きっとあの置き物にも家主がいるはずだと考えたんでしょうかね〜
27:21 主人公Kenは「ぽーっていえばボール」「靴といえば履く」と同様に、「ボーリングといえば26.5以上のサイズの靴」、「サイズを聞かれたら26.5」という、先入観や思い込みにとらわれている。言葉や概念が結びついてしまっており、「サイズは?に対して25と答える」や「25の靴でボーリングをする」ことは想像できないゆえのスケールエラー。 とはいえ、(たとえ2歳児ではなく33歳児でも)このエラーやその後の経験は「成長の機会」であり、「サイズが合わないのはさすがに違う」、「靴のサイズは25でも頼んでいいんだ」と気づいて認識を訂正するチャンス。成長の機会なのに、訂正もせず、そのまま応用してこれからのデート等の「成功の機会」と取り違えている。そう、「ロジカルエラー」なのである。
うちの子は2歳半くらいです。 道の駅などにあるソフトクリームのデカい置物をみてアイスだねーと話すと大抵しゃぶりつきます。 また、この間💩を絵に描いて笑わせていたのですが急に思いついてコーンの部分を描き足して「みて!アイス!」というとしゃぶりついてました。
まさにミニカーに乗ろうとした時の記憶があります。ミニカーとそれより大きめの車のおもちゃが家にあって、ミニカーはドアが開かないけど大きめの方はドアが開くんです。だからずっと大きめの車のおもちゃに乗ってみたくて乗ってみたくて、いざ乗ってみたら乗れなかった覚えがあります。
めっちゃ関係ないけど一歳二ヶ月の息子はバナナを私のところまで持ってきて「いる!」と言ってきたので なんで「たべる!」じゃないんだよ と思いつつ「バナナたべるの?いる?」と訊いてはっとした。 私が「バナナいる?」「おやついる?」と聞くので食べることを「いる」だと学習してた。反省
姪が、『二時間目にたたみ屋さんに行くので、一時間目は班で質問を考えてください』と先生に言われ、『何をたたむんですか?』『どのくらいたたむんですか?』とノートに書いてて、二時間目に『はっ、ちがう、たたむんじゃない、畳だ、、』ってなった話思い出した。
子供のころミニカーに乗ろうとしてたの覚えてるけど、当時は乗れると思ってたんじゃなくて、乗ってみたいって強い意志が行動に出たって感じだったな
絶賛1歳児を育児中の親としてサムネに対して反論させていただきますが、1歳から2歳は赤ちゃんではなくもはや「赤さん」です。日々失われる赤ちゃんみに寂しさを覚えながら、認知的、身体的な成長を噛みしめる期間なのです。
やっぱり赤ちゃんの言語習得回めっちゃ面白い!
私は妹と歳が結構離れているので妹の小さい頃を覚えているのですが、妹の小さい頃もこんな事が観察されたなあと心に温かいものが広がりました
20年前に米国で言語学履修しました。幼児数人をおもちゃで溢れた部屋に放つと何名かがスケールエラーを起こす可愛らしい映像を児童心理学のクラスで見せられました。でも、原因までは話してなかった。子供って、こういうところありますよね。時にはエラーも必要です。温かく見守って、問題解決能力を育ませるために、試行錯誤させましょうみたいな文脈だったと思う。それを言語学の脈絡ではと実験したというのは面白かったです。
@yurugengo